技術の「縁の下の力持ち」を照らす:保守性・拡張性・セキュリティ…非機能要件をストーリーで伝える
専門知識、その「見えない部分」をどう伝えますか
長年の研究開発経験を通じて、私たちは高度な専門知識を蓄積してきました。しかし、その知識を異なる分野の同僚や、技術的な背景を持たないお客様に伝える際に、困難を感じることは少なくないでしょう。特に、目に見える機能や性能だけでなく、システムの安全性、保守性、拡張性、セキュリティといった「非機能要件」の重要性を理解してもらうことは、さらに難易度が高い課題です。
なぜなら、これらの要素は直接的に製品の動作として現れるわけではなく、「もしも」の事態や将来の運用においてその真価が問われるものだからです。技術的な詳細を羅列しても、その本質的な価値やリスクが相手に腹落ちしないまま、重要な意思決定が見送られてしまうこともあります。
この記事では、このような目に見えにくい、あるいは抽象的な技術要素である「非機能要件」を、ストーリー形式で分かりやすく、そして相手の心に響くように伝えるための方法を解説します。単なる技術説明に留まらず、その背後にある「なぜ」や潜在的な影響を物語として構成することで、読者の理解と共感を深めることを目指します。
なぜ非機能要件の伝達にストーリー形式が有効なのか
機能要件が「システムが何をするか」を定義するのに対し、非機能要件は「システムがどのように動くか、どうあるべきか」に関わります。例えば、速度は速いか(性能)、壊れにくいか(信頼性)、変更しやすいか(保守性)、外部の攻撃から守られているか(セキュリティ)などです。これらはユーザーが直接触れる機会が少ない一方で、システムの品質や持続性に決定的な影響を与えます。
非機能要件の説明が難航する主な理由は、その抽象性、専門性、そして「将来」や「リスク」といった不確実な要素を多く含む点にあります。しかし、ここにストーリー形式の有効性が生まれます。
人間は、抽象的な情報よりも具体的な出来事や、登場人物(システム、ユーザー、あるいは潜在的な脅威など)の行動に引きつけられやすい認知特性を持っています。非機能要件は、「〇〇という問題が起きないようにする」「将来△△ができるように準備しておく」という、時間軸や因果関係を内包しています。これはまさに物語の構造と親和性が高いのです。
ストーリーテリングを用いることで、私たちは非機能要件を単なる仕様のリストではなく、以下のように変換して伝えることが可能になります。
- 抽象概念の具体化: 「高い保守性」を、「将来、新しい機能を追加する際に、開発者がスムーズに作業を進められる」という具体的なシーンとして描くことができます。
- リスクの「自分ごと化」: 「セキュリティリスク」を、「もし対策を怠ったら、顧客データが流出し、企業に甚大な損害をもたらす」という、避けたい未来の物語として提示できます。
- 将来価値の可視化: 「拡張性のある設計」を、「この設計のおかげで、数年後、市場のニーズ変化に迅速に対応し、競合優位性を確立できた」という成功談として語ることができます。
このように、ストーリーは非機能要件の重要性を、聴き手や読み手自身の関心や懸念、あるいは希望と結びつけ、理解と共感を深める強力なツールとなり得ます。
非機能要件をストーリーとして構成するフレームワーク
複雑な非機能要件を効果的なストーリーに変換するための具体的なステップをご紹介します。
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伝えるべき非機能要件の核心を特定する:
- 数ある非機能要件の中で、今回最も伝えたいのは何かを明確にします(例:このシステムの「応答速度」がビジネス機会損失を防ぐ、この設計の「保守性」が長期的なコスト削減につながる、このセキュリティ対策が「顧客の信頼」を守る)。
- その専門的な内容を、非専門家にも理解できる平易な言葉で定義し直します。キーワードや概念をシンプルな表現に置き換える練習をします。
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ターゲット読者の視点を理解する:
- 誰にこの話を伝えるのでしょうか。経営層、営業部門、他の技術分野のエンジニア、顧客など、相手によって関心事や懸念は異なります。
- 彼らがその非機能要件について、どのような背景知識を持ち、何に関心があるのかを把握します。例えば、経営層ならコストやリスク、市場競争力。営業部門なら製品の強みや弱み、顧客への説明可能性。顧客なら安心して使えるか、将来性があるか。
- 彼らの「なぜ?」や「だから何なの?」という問いを想定します。
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「もしも」または「変化」のシナリオを描く:
- 非機能要件が「満たされている世界」と「満たされていない世界」を対比させます。
- 例えば、セキュリティについてなら、対策が「ある場合」と「ない場合」で何が変わるのか、具体的な「もしも」の事態(インシデント発生)を想定します。
- 保守性についてなら、保守性の低い設計で「苦労した」過去(または起こりうる未来)と、保守性の高い設計で「成功した」未来(または提案する未来)のシナリオを設定します。
- このシナリオは、読者が感情的に関与できるような、具体的で人間味のある状況を含めることが重要です。
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登場人物と出来事を設定する:
- システム、データ、ユーザー、開発チーム、セキュリティ担当者、あるいは潜在的な脅威(ハッカー)などを、ストーリーの登場人物として捉えます。
- 彼らがどのように行動し、非機能要件がどのように彼らの経験や結果に影響を与えるのか、具体的な「出来事」として描写します。
- 例えば、保守性の低いコードベースでの新機能追加は、「迷宮のようなコードをさまよう開発者たちが、小さな変更にも膨大な時間を費やし、疲弊していく」という物語になります。セキュリティ侵害は、「ある日突然、企業の屋根に穴が開けられ、大切な情報が盗み出される」という物語になるかもしれません。
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比喩やアナロジーを効果的に活用する:
- 抽象的な非機能要件を、読者の身近なものに例えることで、直感的な理解を促します。
- 保守性: 「建物の基礎工事」「配線の整理」「古い車のメンテナンス」
- セキュリティ: 「頑丈な鍵」「防災訓練」「健康診断」「畑を囲む柵」
- 拡張性: 「増築可能な家」「レゴブロックのシステム」「汎用性の高いツール」
- これらの比喩をストーリーの中に織り交ぜ、具体的なイメージを持たせます。
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感情的なフックを盛り込む:
- ストーリーを通じて、読者に特定の感情を抱かせます。
- リスクシナリオでは「不安」や「危機感」。対策の成果では「安心感」や「達成感」。将来への投資では「期待」や「希望」。
- 感情は、情報だけでなくその重要性を伝える上で強力な推進力となります。
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核となるメッセージを明確に伝える:
- ストーリーを語り終えた後、この物語が何を意味するのか、最も伝えたい結論(例:だから、このセキュリティ投資が必要です。この保守設計を採用しましょう。)を明確に提示します。
- どのような行動を取ってほしいのか、次のステップを具体的に示唆します。
実践的なテクニックとケーススタディの示唆
- 数値データの活用: ストーリーの中で具体的な数字(例:応答速度が〇秒改善、開発工数が〇〇時間削減、潜在的な損害額〇億円)を効果的に示し、信憑性を高めます。ただし、数字の羅列にならないよう、ストーリーの流れの中で自然に提示します。
- ビジュアル要素の活用: 図やグラフは、非機能要件の概念や影響を視覚的に伝えるのに役立ちます。システムの構成図にリスク箇所をハイライトしたり、保守性の改善度合いをグラフで示したりするなど、ストーリーを補強する形で使用します。
- インタラクティブな問いかけ: 話の途中で聴衆に問いかけ(例:「もし、皆さんがこの状況だったらどう感じますか?」「私たちがこの対策を怠った場合、何が起こると思いますか?」)、彼らを物語の世界に引き込み、当事者意識を持たせることも有効です。
- 簡潔さを追求する: 特に非機能要件は詳細が複雑になりがちですが、ストーリーはシンプルに保つことが重要です。最も伝えたい核となるメッセージに焦点を絞り、不要な専門用語や複雑な説明は削ぎ落とします。
ケーススタディの示唆:
- システムの保守性を伝える: あるレガシーシステムに対し、保守担当者が小さな改修にも膨大な調査とテスト工数を費やし、疲弊している状況を描きます。そして、新しい設計思想(非機能要件としての保守性向上)を導入した別プロジェクトでは、開発者がスムーズに機能追加を行い、新しいアイデアを迅速に実現できている状況を対比させます。「迷宮」から「整備された庭園」への変化を物語ることで、保守性投資の意義を伝えます。
- セキュリティリスクを伝える: 特定の脆弱性がもたらすリスクを、過去に他社で実際に起こったデータ漏洩事故のケース(匿名化)を引用しながら、その原因と結果を追跡する形で語ります。その上で、「私たちのシステムにも似た『開けっ放しの窓』があります。この窓を閉めるための鍵(セキュリティ対策)が必要です」と、具体的な対策の必要性を「自分ごと」として提示します。
- 拡張性の重要性を伝える: 現在の設計では対応できない将来の市場ニーズ(例:IoTデバイス連携)を提示し、「まるで、将来の部屋の用途変更を考えずに壁を作ってしまった家のように、今の設計では将来の可能性を閉ざしてしまう」と説明します。そして、「拡張性のある設計は、将来の成長に向けた『増築可能な設計』であり、未来への投資なのです」と、前向きな物語として語ります。
これらの例のように、具体的な状況、登場人物、そして彼らが経験する出来事を織り交ぜることで、非機能要件の重要性は単なる技術仕様から、ビジネスの成功や失敗、ユーザーの安心感や不利益に直結する「生きた情報」へと変化します。
まとめ
技術の非機能要件は、製品やシステムの品質、持続性、そしてビジネスの将来にとって、文字通り「縁の下の力持ち」です。しかし、その目に見えにくい性質から、その重要性を社内外の関係者に適切に伝えることは、多くの専門家にとって共通の課題です。
この記事でご紹介したように、非機能要件を単なる技術的な説明に留めず、ストーリー形式で構成し直すことで、その本質的な価値や潜在的なリスクを、聴き手や読み手の心に響く形で伝えることが可能になります。
核となる非機能要件の特定、ターゲット読者の視点、具体的なシナリオ設定、比喩やアナロジーの活用、そして感情的なフック――これらの要素を組み合わせることで、技術の「見えない部分」を「見える」ようにし、関係者の理解と共感を深めることができます。
ぜひ、次に非機能要件について説明する機会があれば、今回学んだストーリーテリングのフレームワークやテクニックを試してみてください。あなたの専門知識が、より多くの人々に理解され、正当に評価されるための一助となれば幸いです。